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いわき希望教会Q&A


Q:無宗教の人や、他宗教の人が教会へ行っても大丈夫ですか?


A:もちろん、どなたでも大丈夫です。
というのも、キリスト教の核心の人物であるイエス様が、こうはっきりと語っているからです。

(マタイの福音書11章28節)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところにきなさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」


あなたが、身も心も疲れ果ててボロボロだったら、最後のセーフティネットとして教会の門を思い切ってくぐって、
イエス様のもとに飛び込んでみてはいかがでしょうか。





Q:信仰が深くない人が行っても良いですか?


A:信仰が深いとか浅いとかは全く関係ありません。
というのも、信仰の質を判断できるのは、あなたの心の中を見通すことが出来る神様だからです。
以下の聖書の箇所を参考にしていただければ幸いです。

(ルカの福音書18章9〜14節)
自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
「ふたりの人が、祈るために宮に上った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。
『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことに取税人のようではないことを感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
ところが取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。
『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。
なぜなら、誰でも自分を高くする者は低くされて、自分を低くする者は高くされるからです。」






Q:初めて教会に行く場合、いつ行けば良いですか?


A-1:いつでも大丈夫です。
教会に電話、もしくはメールをして、牧師先生と個別に相談してみてください。
あなたに合った、スペシャルな時を用意して下さいますから。

A-2:勇気が要りますが、日曜日の礼拝の時間はどうでしょう。
キリスト教の教会では、約2000年前のイエス様の復活の出来事が日曜日未明であったことから、イエス様の復活を強く
意識して、日曜日に集会を持ってきました。
因みに、私たちの教会では、日曜日礼拝(AM10:30〜11:45)、夕礼拝(PM7:30〜8:30)、そして事前の申し出で早朝
礼拝(AM7:30〜8:30)の3回礼拝の時を持っていますので、一人一人に臨機応変に対応すべく準備しています。





Q:初めて教会に行く場合、持って行かなければならない物はありますか?
  着ていった方が良い服装などはありますか?



A:手ぶらで結構です。普段着で結構です。
本当に、そのままで大丈夫です。キリスト教にユニホームはありません。
というのも、イエス様は、持ち物の多さや、着物の立派さが眼中になかった方だからです。以下の聖書箇所を参考にして
いただければ幸いです。

(サムエル記第一16章7節)
しかし主はサムエルに仰せられた
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。
人はうわべを見るが、主は心を見る。」





Q:礼拝とは、どんなことをするのですか?


A:本物の神様を心から賛美し、神様によって生かされていることを心から喜ぶことです。
初めて教会の礼拝に出席されたら、この聖書箇所を踏まえていれば、ビックリすることありません。


*各節の、右端の【詳細】をクリックすると、詳しい説明文が表示されます。

(旧約聖書:詩篇100篇)
1節:全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。 【詳細】
2節:喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。 【詳細】
3節:知れ。主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民。その牧場の羊である。 【詳細】
4節:感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。 【詳細】
5節:主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。 【詳細】





Q:教会に行ったら、献金しないと、いけないですか?


A:献金について理解出来ない時は不要です。
お布施や会費でもなく、ましてや、少ない元手で大きな元を取ろうとする、お正月の初詣でのお賽銭でもないからです。
(ご利益を得るための道具ではないからです。)
私の全生涯は神様によって支えられています。その守りに感謝して、捧げる物が献金です。
また、献金は、別名、献身でもあります。
私の全生涯を神様にお捧げします、という熱い思いの一つの具現化されたものが献金です。
(聖書の神は、私達の施しを必要としているのです)


さらに興味のある方は、次の聖書の箇所が、参考になるのではないでしょうか。

*各節の、右端の【詳細】をクリックすると、詳しい文章が表示されます。

サムエル記第一 15章22節 【詳細】
マタイの福音書 6章19〜24節 【詳細】
ルカの福音書 21章1〜4節 【詳細】





Q:献金は、収入の10分の1を納めないと、いけないのですか?


A:そんなことはありません。規定はないのです。
ルカの福音書21章1〜4節に登場する、レプタ銅貨二つを投げ入れた貧しいやもめに対する、イエス様の評価に注目して
下さい。「私の全生涯は神様によって支えられています。」と確信出来たら、思い切って捧げることでしょう。しかし、神様の
関与をほとんど感じられない人にとっては、自分のためにたくわえたお金が生活基準の保障ですから、手放すのも惜しく
なってケチることでしょう。次のイエス様のたとえ話に耳を傾けてください。

*各節の、右端の【詳細】をクリックすると、詳しい文章が表示されます。

ルカの福音書 12章15〜21節 【詳細】

自分の収入(手元の貯金など)に縛り付けられた生活が、あなたの生き方を潤すことに必ずしも直結しないのです。





Q:教会に行ったら、入信しないと、いけないですか?


A:神様のロボットや操り人形になるためにクリスチャンになるのではありません。
「悔い改める」という言葉にあるように、人生を180度方向転換してみようと、自由意志で決断できたらクリスチャンの第一歩
なのです。私たちの教会では、入信を強要することはありません。安心して教会に集い続けてください。
大切なのは、全く新しく生まれ変わった!(born again!)というべき新しい人生に踏み出すテコとしてイエス・キリストという
お方をおいてみませんかと紹介する所が教会です。
「私は、宝くじなどで得る大金によってではなく、神様を私の心の中に受け入れることで『私の人生の大逆転』を目指します。
人間中心の価値観を神中心と変えます。」と言って、韓国からこられたIT技師の方が私たちの教会で洗礼を受けクリス
チャンになりました。

下記の文章を参考にしてください。

*各節の、右端の【詳細】をクリックすると、詳しい文章が表示されます。

ローマ人への手紙 10章9〜13節 【詳細】






A:もちろん、イエス様を救い主として信じて受け入れて下さるならば、それにまさる喜びはありません。教会はそのために
存在しているのですから、
イエス様も率直に、こうたとえているからです。


*各節の、右端の【詳細】をクリックすると、詳しい文章が表示されます。

ルカの福音書 15章8〜10節 【詳細】

ただし、無理矢理信じ込む必要もなければ、誰かに義理だてをしてとか、誰かの顔を立てるためとかで、不本意なまま入信
する必要もありません。本物の神様がいることを信じ受け入れることも、神はいないと拒否することも、あなたの自由意志
だからです。








Q:何か戒律を守らないといけないですか?
  もし、戒律を破ったら、どうなりますか?


A:バチが当たることはありません。
聖書には徹頭徹尾、本来の姿で生きよと迫っています。
クリスチャンとは「〜しなければ、バチが当たる。だから、それが怖いので〜しない。」という生き方ではありません。
むしろクリスチャンの「神様と豊かな関係(交流)を持って生きることが私の平安の源なので、〜をしよう。」と考えて生きる
のです。
「神様との親密な関係こそ、私の喜びの源なので、〜をしよう。」と考えて生きているのです。まさに前向きな生き方をする
のがクリスチャンです。
神と密着することで生まれてくる生き方に、本来的に制約はないのです。逆に神との関係が破綻すると、神様の要求が
戒律のように窮屈に感じてしまうのです。時には、裁きとして恐れを引き起こすことになります。

第2コリント 3章17節
「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。」


ですから教会とは、我々が本来あるべき姿で生きるためにはどうしたら良いかと言うという問いに対し、聖書からの解答を
付与するところだと言えます。
教会は、バチを当てるために手ぐすね引いて待っている所ではなく、神の用意しておられる祝福を惜しみなく手渡すために、
あなたを待っている所なのです。